わたし。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

今日も、少しの小噺を。

 

 

 

 

Free willの幻想、というのがあります。

何でも、私たちは何らかの選択、決断をするときに

 

意識の上で、その結果を出すよりもほんの少し手前の段階で

脳が無意識にその決定を下しているそうです。

 

 

実際、私は不思議に思うことがあります。

 

 

好きな色、嫌いな食べ物、得意不得意

 

 

私たちの性格や性質と言われるものの多くは

自分が選んだわけではないじゃないか、と。

 

 

 

好みや傾向は変化するものですが、しかし

私は、私がどの色を心地よく感じるかは、選べません。

 

 

黒、白、赤といったはっきりした色が好きですが

それを好ましいと感じるのは、私には預かり知らぬところから生じているように感じます。

 

かっこいいから、と例えば理由を挙げてみても

かっこいい、と感じる色は人それぞれで

その感性は自分でデザインしたものではありません。

 

 

 

 

好きになろう、嫌いになろう、という意思が先にあるのではなく

意識よりも深いどこかで、既に決定されている。

 

 

 

 

そう考えると、意思とは何か、

私たちが自ら考える意義とは何か、

そもそも私が決めていないのなら、私とは何か

 

どんどん混沌とした思索に迷い込んでしまいます。

 

 

 

 

思うよりもずっと、

私たちが実際にコントロールできることは、少ないのかもしれません。

 

 

 

だからこそ

ただ観察し、執着を手放し、受け入れる。

 

そうした、柔軟で前向きな姿勢が大切になってくるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。