忍耐。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忍耐が大事なのは周知のことですが、

 

自分に対する忍耐を、人はつい忘れがちです。

 

 

 

 

 

根気強く、自分を理解しようとすること、幸せにしようとすること。

 

 

変化していくとはいえ

ずっと、この自分と一緒に生きていくわけですから。

 

しょうがないなぁ、と許しながら。

 

もう一度だけ、と励ましながら。

 

 

 

 

 

 

犬や猫相手には、人間が何を強制しようとしても仕方ありませんよね。

 

結局、こちらが諦めて

期を改める他ありません。

 

 

 

 

何事に対しても、そのような姿勢は大切だと思うのです。

 

 

 

気長に、やっていきましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。

 

独り言。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手を変え、品を変え、というと

なんとなく、良からぬ事のような気がしますが

 

必ずしも悪くはないと思うのです。

 

 

 

 

世の中、似たような話は何度も目にし耳にします。

 

 

繰り返し聞く音楽、繰り返し見る映画、繰り返し読む本

 

 

 

慣れきったそれらのものから

ある日突然、何かが浮き上がることがあります。

 

 

 

言葉、景色。

内容とは、全く関係のない思い、過去。

 

 

アハ体験というのとは少し違いますが、

それに似た、何か特別な感覚に思います。

 

 

 

 

 

それは、こちらのタイミングなのかもしれませんし、

単なる偶然かもしれません。

 

 

 

ですが、私たちはいつだって、

知っていることを知っていくのです。

 

何度も何度も。

 

 

 

 

 

人生は案外、大事件が起こって変わることは多くありません。

 

 

 

見慣れたものが、ある日突然姿を変える。

 

それは、1つのきっかけです。

 

それを何かに繋げる人、それを通り過ぎてしまう人。

 

 

 

どちらも、正しいのです。

 

 

 

 

 

今はわからなくても

なぜか惹かれるものには、何かあるのかもしれないし

妙に縁があるものには、本意では無くとも真意があるのかもしれません。

 

 

 

 

私は、繰り返しに全く意味がないとは思いません。

 

全く同じ、貼り付けたような現実というのは存在しない以上、

そして世界のすべてのものは、私たちを含め変化している以上、

 

確かに積み重なっているものはあるはずです。

 

 

 

何かを変える必要があることも、今を踏みしめなくてはいけないことも

どちらも、その時々です。

 

 

 

 

 

 

何も間違っていません。

 

 

 

 

 

 

結論も何もない、ただの独り言なのですが

人は時に、青い空が苦しいこともありますから。

 

 

 

 

私たちが何も知らなくても、気づかなくても

何かが待っているかもしれない。

 

だからどうか、焦らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。

 

...。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちは肉体ではない、私たちは感情ではない。

 

 

私が毎朝、意識し直してから、1日を始める言葉です。

 

 

 

 

 

肉体は入れ物、とはよく言います。

 

五感や肉体があればこそ、学ぶことはたくさんありますし

私たちは体の内側から、皮膚を通して世界に触れているといえます。

 

 

また、感情は1つの指標です。

 

なぜそう感じるのか、は自分の価値や未来への気づきとして

私たちが得られる導きです。

 

 

 

 

 

 

 

魂は、感情や思考よりずっと奥。

 

 

性別や年齢や、あらゆる制限、制約はなく

 

とてもシンプルなものです。

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことがない、わからない、という人の話を聞くと

やりたいこと自体は、あることが多いです。

 

しかし

 

その直ぐ後で、

思考によって出てくるできない理由、メリットデメリット、

感情による恐怖や不安の混乱や、人目を気にするなどで

 

無かったことにしてしまうことがあるようです。

 

 

 

無かったことになってしまうなら

聞いてくれる人がいないなら

 

やがて私たちの魂は、私たちに教えてくれなくなってします。

 

 

聞いてもらえないのに話し続けるのは、寂しいですからね

 

 

 

今は、何かしよう、と思うと

まず情報収集から始まってしまいます。

 

それも大事なことではあるのですが、

やると決めないうちから情報ばかり集めてしまうと、

不用意に、不必要に情報に触れてしまい、いらない思考や感情が

むくむくと大きくなってしまいます。

 

 

 

 

やりたいなら、やる。

やりたくないなら、やらない。

 

そこに他人や意味、意義は関係ありません。

 

 

必要なのは自分の意思だけです。

 

 

 

 

 

 

 

始まりの春、ですが

その方がいいから、そうするべきだから、それが普通だから、ではなく

 

ちょっと立ち止まって、まずは深呼吸。

 

 

 

独り言も、考え事も、情報も、あらゆる雑音をオフにして

 

静かに、根気強く待っていると、

 

フッと心に何かが浮かぶことがあります。

 

 

 

 

 

あとはただ、その方向へ。

 

 

 

 

自分の道をいくことが、大切ですよ。

自分で決めていいのです。

 

いつでも、なんでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、

私も最近、特に静かに過ごしています。

 

 

ゆっくり、マイペースに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。

 

刹那。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜は、もう直ぐでしょうか。

 

毎年なぜか、咲いたと思うと雨が続いて

あっという間に散ってしまうような気がします。

 

 

 

 

日本人であれば、自発的かどうかは別としても

一度はお花見をしたことがあると思います。

 

お花見、とまで言わなくとも

 

通勤や通学途中、咲いた桜を見上げては

ああ、もう春なんだ、と感じた経験はあるのではないでしょうか。

 

 

当然に、毎年のこと。

 

私たちは、当たり前にそう感じます。

 

 

 

ですが、

 

見飽きるほどに見てきた桜にしたって

 

私たちがそれを眺めるのは、たとえ毎年見たとしても

せいぜい80回とか、運が良くとも100回程度。

 

 

そして、それっきりのことなのですよね。

 

 

 

人生が進む中で、

桜を見ている場所が、一緒に見上げる誰かが

いつかは変わること、変わり続けることは、

それこそ当然に起こることなのに。

 

 

 

私たちは生きるために「慣れる」ようにできていて

うっかり忘れてしまいます。

 

 

 

 

これもまた、聞き飽きた真理ですが

 

永遠はなく、全く同じ現象というものも無く、

 

私たちは、常に終わりに向かって歩いています。

 

 

 

 

 

今年の桜は、どんなでしょうか。

 

今のあなたに、どう映るでしょうか。

 

 

 

今しかない季節と、あなたを

確かに感じられますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。

 

対話。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日書いた、風通しについては

何にも通じますね。

 

環境や人間関係も、決まりきってしまうことは良くありません。

 

時にはこちらから、変化を作っていくことも必要になってきます。

 

 

 

 

人間関係において、対話はとても大切ですが

本当に、しっかりと誰かと対話を試みるというのは

実際、なかなか難しく、体力も気力も使うものです。

 

なので私は、最小限の人間関係で生きているのですが

それは、人それぞれの選択でしょう。

 

 

 

 

お互いに安心して話そするには、そこまでの関係性を築き、

そうなるだけの時間が必要なことは勿論あります。

 

密度が問題で、時間は問題でないように言われることもありますが、

 

ただ必要な時にそこにいてくれた、

あるいは

特に会話をしたわけではなくても、同じ空間にいることが多い

ということは、何よりの縁になることがあるのです。

 

 

時間の見えない影響力は、とても大きいです。

これもいつかお話ししましょう。

 

 

 

 

 

さて、

特に大切な話をする時には

自分と相手、双方の準備も必要です。

 

お互いが安心して話せる空間で話をすること、

相手も自分も、日常の細々したことの影響を受けず

そのことに集中して話せる時期、時であるか。

 

 

お互いに、話し合う、という姿勢が一致していないと始まりません。

 

相手あってのことの難しさですね。

 

 

 

 

話す姿勢、聞く姿勢は、

小学生の頃などに何度も先生に教えられた記憶がありますが

目と耳と、心で聞くというのは

大人になった今でも、大切にしていることです。

 

 

人の考えていることは分かりませんが、

感情は比較的、見えやすいのです。

 

注意深く聞いていれば、声のトーンや仕草、表情などで

言葉にしていないことを理解することができるかもしれません。

 

 

また、人間は誰も彼も、理想像のように

合理的にはできていません。

 

実際、人間とはとても非合理的な生き物です。

明らかに得策ではなく、どうしてそうなるの?と思えるようなことでも

誰かにとっての、確かな真実であることは、あります。

 

 

 

しかし、正確で落ち着いた姿勢も忘れないために

目の前の相手だけでなく、その奥、

相手の語る人物や過去、状況を「引き」の視点で見ることも大切です。

 

コンテクストを探る、と言われたりもします。

 

 

その上で、決めつけやジャッジを避けること。

そんな権利は、誰にもありませんからね。

 

 

 

 

また、自分が語り手の場合、

良い人でいようとせず、正直者であろうとすることも重要です。

 

 

遠回しに、わかって欲しいという思いだけで伝えても

相手には相手の事情と理解、感情があり、

言葉を尽くしたからといって、何もかもが伝わるものではありません。

 

誰も悪くなくても、行き違うことはあります。

 

 

感情優位にならず、本当に伝えたいこと、

前向きに話し合えることを、最低限で伝えるのが理想的です。

 

 

ついつい、感情ばかり話してしまって

結果的に何1つ伝わっていないのは、よくあることですね

 

 

まず、

感情は、自分だけのものです。

自分が、自分のために、自分で対処するもので

相手にぶつけるものではありません。

 

 

自分で自分のご機嫌を取り、気持ちよく生きるのが

自己責任、と私は考えています。

 

 

 

伝えることは、その感情を自分で処理した上で

こう感じたから、できたらこうして欲しい、という話し合いであるはずです。

 

相手、が出てくるのは、そこですからね。

 

 

 

 

 

 

対話、を紐解くと、ここに挙げた以上に多くの要素が絡んでいます。

 

 

最近は、アサーティブ、という言葉もよく聞きますが、

こういうことは、知り、学ぶことが大切なのは確かとしても

 

実際の体験が欠けていると、実感し、実践として活かしにくいのが

なかなか難しいところです。

 

 

 

ですが、

人間関係も、実は失敗してなんぼです。

 

本当に大切な人は、ちょっと諍いがあっても

縁は途切れず、続いていきます。

 

 

 

 

恐れずに、時に豪快に。

 

自ら窓を開けて、何事も風を通していきましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。

 

 

信仰。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も短いお話です。

 

 

 

 

 

先日、都内の神社に参拝に行ってきました。

 

行こうと思った時に、ふらりと有名な神社仏閣を気軽に訪ねられるのは

なかなか不思議な気分がしますね。

 

私は地方の出身なので尚更ですが、

ビルの間を抜け、通りを歩いていくと

突如として大きな鳥居や門が現れる、というのは

何度体験しても新鮮な驚きがあります。

 

 

 

そこだけ、ぽっかり、どこか別のところから空間がはめ込まれてでもいるように思えて、

私はいつも、境内の隅っこで立ち尽くしてしまいます。

 

 

 

ですが

スーツ姿で仕事の途中で出てきた人あり、学生さんあり、観光客あり、と

様々な人々がいて、

 

特別な理由や願いがあって、明確にその場所をを選んだり、

あるいは単に近いから、暇だから、近いから、なんて来てみたり

 

そんな人々が、きちんと並んで、めいめいにお参りをしているというのは

 

何だかいいものですね。

 

 

 

 

日本人は無宗教と言われますが、生活のベースは

やはり仏教が強いように思います。

 

とはいえ、神様にお祈りすることもありましょう。

 

 

御朱印帳というものがありますが、あれは

厳密に神社と寺院を分ける必要はなく、また、同じところで何度もらってもいいそうです。

 

最近は趣味として集めている方もいますね。

 

 

 

いろいろな意見があるかと思いますが、私は

この大らかさが、結構好きです。

 

 

これまた個人の意見として、

規則や規律は、日本はちょっと緩くて古めかしいなぁと思ってしまう私なのですが

 

信仰の大らかさ、八百万の神様や自然信仰といったものは

やっぱり肌に合う感じがしますし、穏やかな寛容を感じるのです。

 

 

 

日本にも、多くの宗教と信仰はありますし、私自身、

キリスト教の教えにも多少は触れたことがあり

なるほどと思うことも多いので、心に留めている言葉や教えもいくつかあります。

 

 

それぞれに、理由や根拠、歴史や文化がありますからね。

 

 

 

 

宗教や政治のお話は、何かと嫌われがちですし、

話す相手や場所は選ぶ必要はありましょうが

 

大切なのは風通し。

 

 

 

良い、悪いというものでもなく、正しい正しくないでもなく。

 

頑なでもよくありません。

 

 

 

 

結局は、人の信じるもの、なのです。

 

対象を解釈するのも、歪めるのもまた、私たち。

 

実際は、形のないものです。

 

 

 

タブーを作らずに、縦も横も斜めも風を通して、

過ぎて行く物はそのように、残る物はそのように。

 

 

 

ねばならない、こうである、べきである、ではなく

自身で選択し、常に変化してこそ生き物として自然な姿でしょう。

 

 

 

 

世間から少しだけ、抜け出したような空間で

現状のご報告と感謝、そして平和と変化をお願いしながら

ぼんやりと考えたことでした。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。

 

わたし。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

今日も、少しの小噺を。

 

 

 

 

Free willの幻想、というのがあります。

何でも、私たちは何らかの選択、決断をするときに

 

意識の上で、その結果を出すよりもほんの少し手前の段階で

脳が無意識にその決定を下しているそうです。

 

 

実際、私は不思議に思うことがあります。

 

 

好きな色、嫌いな食べ物、得意不得意

 

 

私たちの性格や性質と言われるものの多くは

自分が選んだわけではないじゃないか、と。

 

 

 

好みや傾向は変化するものですが、しかし

私は、私がどの色を心地よく感じるかは、選べません。

 

 

黒、白、赤といったはっきりした色が好きですが

それを好ましいと感じるのは、私には預かり知らぬところから生じているように感じます。

 

かっこいいから、と例えば理由を挙げてみても

かっこいい、と感じる色は人それぞれで

その感性は自分でデザインしたものではありません。

 

 

 

 

好きになろう、嫌いになろう、という意思が先にあるのではなく

意識よりも深いどこかで、既に決定されている。

 

 

 

 

そう考えると、意思とは何か、

私たちが自ら考える意義とは何か、

そもそも私が決めていないのなら、私とは何か

 

どんどん混沌とした思索に迷い込んでしまいます。

 

 

 

 

思うよりもずっと、

私たちが実際にコントロールできることは、少ないのかもしれません。

 

 

 

だからこそ

ただ観察し、執着を手放し、受け入れる。

 

そうした、柔軟で前向きな姿勢が大切になってくるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。