信仰。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も短いお話です。

 

 

 

 

 

先日、都内の神社に参拝に行ってきました。

 

行こうと思った時に、ふらりと有名な神社仏閣を気軽に訪ねられるのは

なかなか不思議な気分がしますね。

 

私は地方の出身なので尚更ですが、

ビルの間を抜け、通りを歩いていくと

突如として大きな鳥居や門が現れる、というのは

何度体験しても新鮮な驚きがあります。

 

 

 

そこだけ、ぽっかり、どこか別のところから空間がはめ込まれてでもいるように思えて、

私はいつも、境内の隅っこで立ち尽くしてしまいます。

 

 

 

ですが

スーツ姿で仕事の途中で出てきた人あり、学生さんあり、観光客あり、と

様々な人々がいて、

 

特別な理由や願いがあって、明確にその場所をを選んだり、

あるいは単に近いから、暇だから、近いから、なんて来てみたり

 

そんな人々が、きちんと並んで、めいめいにお参りをしているというのは

 

何だかいいものですね。

 

 

 

 

日本人は無宗教と言われますが、生活のベースは

やはり仏教が強いように思います。

 

とはいえ、神様にお祈りすることもありましょう。

 

 

御朱印帳というものがありますが、あれは

厳密に神社と寺院を分ける必要はなく、また、同じところで何度もらってもいいそうです。

 

最近は趣味として集めている方もいますね。

 

 

 

いろいろな意見があるかと思いますが、私は

この大らかさが、結構好きです。

 

 

これまた個人の意見として、

規則や規律は、日本はちょっと緩くて古めかしいなぁと思ってしまう私なのですが

 

信仰の大らかさ、八百万の神様や自然信仰といったものは

やっぱり肌に合う感じがしますし、穏やかな寛容を感じるのです。

 

 

 

日本にも、多くの宗教と信仰はありますし、私自身、

キリスト教の教えにも多少は触れたことがあり

なるほどと思うことも多いので、心に留めている言葉や教えもいくつかあります。

 

 

それぞれに、理由や根拠、歴史や文化がありますからね。

 

 

 

 

宗教や政治のお話は、何かと嫌われがちですし、

話す相手や場所は選ぶ必要はありましょうが

 

大切なのは風通し。

 

 

 

良い、悪いというものでもなく、正しい正しくないでもなく。

 

頑なでもよくありません。

 

 

 

 

結局は、人の信じるもの、なのです。

 

対象を解釈するのも、歪めるのもまた、私たち。

 

実際は、形のないものです。

 

 

 

タブーを作らずに、縦も横も斜めも風を通して、

過ぎて行く物はそのように、残る物はそのように。

 

 

 

ねばならない、こうである、べきである、ではなく

自身で選択し、常に変化してこそ生き物として自然な姿でしょう。

 

 

 

 

世間から少しだけ、抜け出したような空間で

現状のご報告と感謝、そして平和と変化をお願いしながら

ぼんやりと考えたことでした。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺りで。

またのお越しを。