時間。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、いつも決まってこのくらいの時間に

こうして文章を書いていますが、

時間というものとの関わり方は、その人の性格や性質が出るなぁ、と思います。

 

 

 

私は、待ち合わせは大抵早く着いて、

定刻まで近場で時間を潰していることが殆どです。

 

直前になって慌てるのが嫌なので、待つことは苦になりません。

特に何も連絡がなくても、定刻30分過ぎまでは待ちます。

 

これは、私の元々のんびりした性格と

比較的時間にルーズな知人友人が多いことの結果でしょうね。

 

 

時間に正確かどうか以外にも、時間の認識は生活の中で

大きく私たちに関わってきます。

 

 

 

私たちは、何気なく普通に生活していても、だんだんリズムを見出し

自然とスケジュールの様なものが定まってくるものです。

 

 

そこから何かあってズレが生じると、妙にソワソワしたりもします。

 

 

しかし、実際になんでかんで必ずその時間、順番でなくてはいけないということは

あまりないと思います。

 

 

規則正しい生活や、良い習慣、ルーティンがもてはやされる世の中ですが、

あまり決めつけすぎると、不必要な障害を生みますし

 

 

この時間にはこうしないと、とあまり意識しすぎることは

夢中や没頭、という状態から私たちを遠ざけるそうです。

 

 

 

もちろん、規則正しい生活は大切ですし

1人の大人として生きていれば、時間厳守のことは多く、

日々時間に追われ、やるべきことはたくさんあります。

 

 

 

ですが

最後に何かに時間を忘れて取り組んだのはいつだろう、と振り返って

小学生の夏休みなんかまで遡らないといけないのも、少し寂しい話です。

 

 

 

今は、時間ができると見るともなくスマホを眺め

気がつくとすっかり時間が経っている、ということもあると思いますが

それは、夢中というより上の空に近い気がします。

 

その上、

何をしていたというわけでも無いとすれば

長い時間が経っていても、心地よい疲労感を得られたりはしないでしょう。

 

 

 

今思い出してみても

学生時代の夏休みなんて、大してやることなど無かったはずなのに

私はあまり退屈した記憶がありません。

 

そうした時間が、仮にあったとしても

今忌み嫌っているほど嫌な感じではなかった気がします。

 

 

 

何でもいいからやることを模索してみて、

片っ端からやっているうちに

何かにスポッと着地して、いつの間にか夢中になっている。

 

 

夕食に呼ばれるまで、他のことは何にも知らないでいる。

 

 

 

そういう時間が、今になってとても恋しく感じるのは

私だけでは無いはず。

 

 

 

 

没頭できる趣味があることは素敵なことですが、

それは、趣味に出会おう出逢おうと探すのではなく

誤魔化さず、しっかりと退屈に浸る時間から出会うものでは無いでしょうか。

 

 

 

 

今日はちょうど日曜日ですが、

1日くらい時計を見ないで、全て自分のタイミングでやってみるというのは

なかなか面白そうな響きです。

 

 

夢中、にすぐに出会えるかはわかりませんが

何度もやっているうちに、きっと発見はあるでしょう。

 

 

 

普段やっていることの順番を入れ替えるだけで、案外気分が変わるのが人間です。

 

 

 

子供の頃のように、身軽に時間を飛び越えることができたなら。

 

 

 

あまり意識しすぎるといけませんが、

時には自ら意識して、枠を飛び越えてるのが必要かもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。