内在するもの。

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

春のような陽射しですね。

 

 

今朝は、私の住んでいるところからは

空一面の、薄い真っ白な雲の隙間から

明るい朝の金色の光が漏れているのが見えて

なんだか神聖な気持ちになりました。

 

 

 

私は1日の中で、何度も空を見上げる癖があるのですが

これは昔から、母親がよくそうしていたからだと思っています。

 

 

私は、ずいぶんと多くのものを母親から引き継いだなぁ、という実感があるのですが、

 

先天的と言いますか、元々の性格は父親似だという自覚もあります。

 

 

なんだかごちゃ混ぜで、歪なような。

 

 

まぁ、これはこれで気に入ってはいるのですがね。

 

 

私たちは、何も親からばかりでなく、

日々いろいろなものを吸収して生きている、と私は考えます。

 

 

 

 

呼吸のように、何かを吐き出しては、何かを吸い込んでいる。

 

 

 

いいもの、悪いもの、よくも悪くも無いもの。

 

 

 

私たちは、生まれた時から、

少しずつ少しずつ、自分の持っているものを

交換しながら生きている。

 

 

あるいは、ずっと持っているものも、

何かと混ざって性質を変えることがあるかもしれません。

 

 

 

そうして絶えず、色形を変えていくのが

生きていくことだと思っています。

 

 

 

最後まで、残っている物は何なのか。

 

 

 

それを楽しみにすることは

私にとって生きる力を与えてくれます。

 

どうせなら、自分の気に入るようなものが良いですからね。

 

 

 

 

ですから、こうしたことは

時々、良い具合に行っているかどうか

見ておいた方がいい、と思うのです。

 

 

 

時には、好ましく無いものが

自分の中に居座っています。

 

 

自分を監視するような目。

 

私のやることが、何から何まで気に入らないらしい批評家の声。

 

誰かや何かを否定したくなる思い。

 

 

 

こういうものは、気をつけていると

 

現れる前に心がザワザワするのがわかります。

 

 

それこそ、嵐の前のように。

 

 

 

 

あんまり、いい心地はしませんね。

 

 

 

そんな時に、

 

これは自分のものだろうか?

 

誰かや何かから、うっかり受け取ってしまった価値観かしら。

 

何にしても、これは必要だろうか。

 

 

 

棚卸しのようなことをするのは、なかなかに楽しくて、

 

 

興味深い、そして役に立つ体験です。

 

 

 

 

 

人生思い通り、とはいきませんが

 

少なくとも、自分にとって居心地の良い生き方を選ぶことはできると

 

私は信じています。

 

 

 

 

 

丁寧な暮らし、というのは

ものぐさな私には向きませんが

 

なんとかかんとか、今日まで生きて、

そして、これからも生きていく私のために

 

ちょっとでも荷物を軽くしてあげるくらいは、ねぇ。

 

 

 

 

生きていく、というのは

結構な体験ですからね。

 

なかなか大変なことです。

 

 

もう十分に大変なのだもの、それ以上に

自分で大変にすることはない、と思うのです。

 

 

 

楽をするのは、いいことですよ。

 

何も、ズルをする訳でなし。

 

 

 

楽して生きていきましょう、なんて

なんとも無責任な物いいですが

 

たまには。

 

 

誰か1人くらい、そういうことを言う人がいても

 

神様も怒らないでしょう。

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。