いと。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、私の好きなものといえば

珈琲、本、それを取り巻く時間空間など、

静と動なら、どちらかといえば静に属するようなものが多いです。

 

 

日常生活を送っていると、動に傾くことの方が

多いように思いますから、

バランスとしては悪くない、と思っているのですが、

 

ここで大事なのは、意識してそっちに傾くことだと思っています。

 

これは日常で動に傾く時も、理想としてはそうです。

 

 

 

無意識にそうなっているか、意識の下でそうしているかというのは

全く違うことです。

 

 

前者は、単に飲み込まれているだけのこともあります。

後者は、ちゃんとそこに、ある種の不動な自分がいないと成り立ちません。

 

 

 

私は常々、静寂は大切だと思っています。

 

 

 

物理的に静かなだけではなく、

心の中も。

 

 

 

考え事、というのは見ようによっては自分との話し合いです。

 

ずっと話していては、聴くべきものが聞こえません。

 

 

せっかく静かにしていても、

ずっと音楽が流れていたり、動画を流していたり、画面をスクロールしていたり。

 

絶えず情報が流れていては

それは静寂とは呼べないと思うのです。

 

 

 

本当の意味で、最後にボーーっとしたのは、いつでしょうか?

 

現代社会では、これは案外難しいことです。

 

 

 

でも、そういう時にこそ、

私たちの中のどこか見えないところで

大切ななんらかの処理が行われている

 

私は固く信じています。

 

 

 

家でも、意図してそういう空白の時間を作ることをしますが、

あんまり忙しくしていると、それも難しいもの。

 

やっと手を離しても、頭の中ではずーっとそのことが靄を巻いている

 

そんな時には、物理的に外へ出ます。

 

 

 

幸運なことに、私は

お気に入りの場所を近所に持っていて

何にも持たずにふらっとそこへ足を運びます。

 

 

小さな喫茶店なのですが、

マスターと仲良くなり、他のお客さんも交えて話をしたり

店内の本を読むともなくめくったり、

ただ、ぼーっとしたり。

 

 

気がつけば、あっという間に23時間が経っていて、驚きますが

私はいつもその時間に、豊かさを見出すのです。

 

 

何がどうなった、ということはないのですが

何か具体的なことを終わらせたり頑張ったりするのではなくても、

それとどこか似たような心地になるのです。

 

 

そして、お店を後にする頃には

また頑張ろう、という気力が

どこからとなく湧いています。

 

家を出る時は、どんなに疲れていて、行きたくなくて

こんなことしてる場合じゃないという思いに襲われても、

そこで負けじと表に出ることが大事です。

 

後悔はきっとしません。

 

 

 

茶店ではなく、本屋さんやお花屋さん、雑貨屋さん、

お気に入りの散歩コースでもいいと思います。

 

 

 

自分でそういうスイッチを作っておくのが、この作戦の要です。

 

 

 

 

何をするのも、作戦が大事だと思うのですが、

多くの人は、「できない自分」ばかり見て、

自分を責めるところで止まってしまう気がしています。

 

自分はダメだ、と思って止まってしまう、あるいは

自分を変えよう、とするより

 

そのダメな自分を、なんとかそっちに向かわせるために

外側の要因もうまく使った作戦を考えることのほうが

ずっとうまくいくと思うのです。

 

 

 

 

最近は、読書に集中することを目的とした、

お喋り控え目を推奨するカフェや喫茶店も増えていて

頭の中を空っぽにして、

落ち着いて自分を取り戻すのには最適な空間にアクセスできます。

 

 

他人の目が気になるというのには、

別のアプローチが必要ですが、長くなったのでそれはまた、別の機会に。

 

 

 

 

 

改めて見ると、私の生活はそういったスイッチに溢れており

こんな自分のまま、なかなか快適に暮らしているものだと

我ながら少し感心しました。

 

まさについ先ほど、

新しく静かなお店を開拓し

豊かな時間を過ごしてきたところで

この記事を書いています。

 

 

意図して動けば、現実は変わります。

 

 

 

ちょっとまとまりが無いのは、いつものこと。

 

私の話したいことを、話させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうかこれに懲りずに、またのお越しを。