珈琲と。

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

今日は少し冷えますね。

春は近いような、遠いような

私は寒い季節が好きですので、もう少し冬でも、それはそれで嬉しいのですけれどね。

 

 

 

ところで、以前習慣の話をしましたが

習慣というのはつくづく良いものですね。

 

それこそ、変化に敏感になります。

 

私は習慣事の多い人間だと自負しておりますが、

不思議なもので、いつも同じ手順、内容でやっていても

 

毎回違う ということが、しっかりとわかるのです。

 

 

 

体の感覚も、心の感覚も。

 

 

 

ここは喫茶ですし、私は珈琲に入れ込んでいますから

 

当然、毎朝自分で珈琲を淹れるのも、私の習慣の1つですが

 

気温やお湯の温度、豆の挽き具合、淹れる道具に蒸らす時間

 

珈琲というのは、非常に多くの要素でできています。

 

加えて、自分の体の感覚も、味覚嗅覚も違う訳ですからね。

 

 

まぁ、あんまり色々考えると

わけが分からなくなってしまいますし

自分が飲む分には、要は今日の私が気にいる味であれば、それで良し。

 

そして案外これは、こうしよう、と狙ってやってみると駄目で、

何の気なしに淹れた時ほど、これは、と思う出来になるのです。

 

 

何事も、やる気になってみれば奥が深いものですね。

 

 

 

 

私が珈琲が好きな理由には、そのものの魅力ばかりでなく

珈琲を取り巻く時間も好きなのです。

 

 

ちょっと珈琲でもどうですか、は

一杯やりませんか、というお酒のお誘いよりも

いくらか柔らかい感じがします。

 

軽やか、とも言いましょうか。

 

私はどうも、お酒のコミュニケーションは苦手です。

極端に明るいか、極端に暗いか、何にせよとてもエネルギーを使う気がしまして。

 

 

珈琲も覚醒作用はあるのでしょうが、

よっぽど濃くなければ、そんなにパキッと意識に働くようには感じません。

 

これは私が大の珈琲好きだからというのもありましょうがね。

 

 

 

自分1人でいる時にしても、

どれ、珈琲でも淹れるか、というのは

私の流れの中に自然と、違和感なく組み込まれる感じがあります。

 

流れを止めずに寄り添ってくれるものというのは、

案外少ないものです。

 

 

 

また、他人に淹れてもらうと、珈琲は特別おいしい気がします。

 

 

 

無論これらは、別に紅茶でも良いですし

私も紅茶も好きですが

 

珈琲と紅茶は、好み、というより

もっと根っこの部分で

どっちの方に惹かれるか、があるように、私には思われます。

 

自分とよく馴染むものには、

あんまり理由がなかったりしますからね。

 

 

 

 

私は、珈琲から繋がったものがたくさんあるのです。

 

人との出会い、場所との出会い。

自分の中に、深く分け入っていけたこと。

 

 

珈琲、というものの中に、

ちょうど先日お話ししたような、私だけの意味がたくさんあるからこそ、

特別なのでしょうね。

 

 

 

ついつい、何でも早く、次々とやってしまいたくなる時代ですが、

 

どうですか、今日くらい。

ほんの、10分くらい。

 

 

珈琲でも紅茶でも、好きなものを用意して、

ゆっくり味わい、飲み終わるまで 他のことは何にもしないというのは。

 

 

 

生きていると

終わらせること、完成させることが

いつだって私たちの前に立ちはだかりますが

 

本来、そんなものはありません。

 

人生は味わうもの、だそうな。

 

 

 

 

私もいつかは、

飲んでいる間だけでも 人生をゆっくり味わえるような。

 

そんな珈琲を淹れてみたいものです。

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。