整理整頓。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

なんとも風の強い日ですね。

今日は、どうしても外出しなければならない用事があり

飛ばされそうになりながら、なんとか用事を済まして

部屋でぐったりしています。

 

 

 

その用事のために、久しぶりに街中へ出ていたのですが

なんというか、改めて現代社会は

必要以上に要素が多いなぁ、と感じました。

 

 

 

人間は、こんなにたくさんのことを扱えるように出来ているのかしらん?

 

と、電車の中でぼんやり考えていました。

 

 

 

 

今の世の中、ひとまず「知る」ことは、誰でも簡単にできます。

別に必要のないことまでも。

 

 

実際、知っていたとしても

私たちに手の届く世界というのは

半径数十センチがいいところではないかと思うのです。

 

 

 

全て知っている必要は、もちろんありませんし

流石に全てを知るのは無理でしょう。

 

 

 

でも、この世の中で生活していて

興味のない情報、無意識に脳に入ってくる広告、

その度に浮かんでは消えていく微塵切りのような思考から

完全に逃れる、というのもまた、至難の業です。

 

世捨て人のように生きていくことは、お勧めできませんし

 

 

 

とはいえ、気がつけば本当にどうでもいいようなことで

気持ちが圧迫されていたり、頭がいっぱいになっていたりするなぁ、と

実感たのでした。

 

 

 

 

もちろん、適度であれば

そこから得られるもの、モチベーションやインスピレーションは

確かにあると思います。

 

でも基本的に、

これ、私の世界のじゃないし、いらないわ、というものは

意識的に捨てていかないと、あっという間に

いっぱいになって溢れてしまいます。

 

 

 

 

必要以上に難しくしないこと、要素を増やさないこと。

 

シンプルで身軽であることは、

やっぱり大事なことです。

 

使い古された、耳にタコができるほど聞いた話は、

なるほどそれは真実だから、ということもありましょう。

 

 

まぁ、実感を伴った「その時」が来ないと

なかなかその真意に気づけない、わからない、というのも確かなのですが。

 

 

 

しっかり、日頃から身の回りを整理整頓しておこう、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。

 

いと。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、私の好きなものといえば

珈琲、本、それを取り巻く時間空間など、

静と動なら、どちらかといえば静に属するようなものが多いです。

 

 

日常生活を送っていると、動に傾くことの方が

多いように思いますから、

バランスとしては悪くない、と思っているのですが、

 

ここで大事なのは、意識してそっちに傾くことだと思っています。

 

これは日常で動に傾く時も、理想としてはそうです。

 

 

 

無意識にそうなっているか、意識の下でそうしているかというのは

全く違うことです。

 

 

前者は、単に飲み込まれているだけのこともあります。

後者は、ちゃんとそこに、ある種の不動な自分がいないと成り立ちません。

 

 

 

私は常々、静寂は大切だと思っています。

 

 

 

物理的に静かなだけではなく、

心の中も。

 

 

 

考え事、というのは見ようによっては自分との話し合いです。

 

ずっと話していては、聴くべきものが聞こえません。

 

 

せっかく静かにしていても、

ずっと音楽が流れていたり、動画を流していたり、画面をスクロールしていたり。

 

絶えず情報が流れていては

それは静寂とは呼べないと思うのです。

 

 

 

本当の意味で、最後にボーーっとしたのは、いつでしょうか?

 

現代社会では、これは案外難しいことです。

 

 

 

でも、そういう時にこそ、

私たちの中のどこか見えないところで

大切ななんらかの処理が行われている

 

私は固く信じています。

 

 

 

家でも、意図してそういう空白の時間を作ることをしますが、

あんまり忙しくしていると、それも難しいもの。

 

やっと手を離しても、頭の中ではずーっとそのことが靄を巻いている

 

そんな時には、物理的に外へ出ます。

 

 

 

幸運なことに、私は

お気に入りの場所を近所に持っていて

何にも持たずにふらっとそこへ足を運びます。

 

 

小さな喫茶店なのですが、

マスターと仲良くなり、他のお客さんも交えて話をしたり

店内の本を読むともなくめくったり、

ただ、ぼーっとしたり。

 

 

気がつけば、あっという間に23時間が経っていて、驚きますが

私はいつもその時間に、豊かさを見出すのです。

 

 

何がどうなった、ということはないのですが

何か具体的なことを終わらせたり頑張ったりするのではなくても、

それとどこか似たような心地になるのです。

 

 

そして、お店を後にする頃には

また頑張ろう、という気力が

どこからとなく湧いています。

 

家を出る時は、どんなに疲れていて、行きたくなくて

こんなことしてる場合じゃないという思いに襲われても、

そこで負けじと表に出ることが大事です。

 

後悔はきっとしません。

 

 

 

茶店ではなく、本屋さんやお花屋さん、雑貨屋さん、

お気に入りの散歩コースでもいいと思います。

 

 

 

自分でそういうスイッチを作っておくのが、この作戦の要です。

 

 

 

 

何をするのも、作戦が大事だと思うのですが、

多くの人は、「できない自分」ばかり見て、

自分を責めるところで止まってしまう気がしています。

 

自分はダメだ、と思って止まってしまう、あるいは

自分を変えよう、とするより

 

そのダメな自分を、なんとかそっちに向かわせるために

外側の要因もうまく使った作戦を考えることのほうが

ずっとうまくいくと思うのです。

 

 

 

 

最近は、読書に集中することを目的とした、

お喋り控え目を推奨するカフェや喫茶店も増えていて

頭の中を空っぽにして、

落ち着いて自分を取り戻すのには最適な空間にアクセスできます。

 

 

他人の目が気になるというのには、

別のアプローチが必要ですが、長くなったのでそれはまた、別の機会に。

 

 

 

 

 

改めて見ると、私の生活はそういったスイッチに溢れており

こんな自分のまま、なかなか快適に暮らしているものだと

我ながら少し感心しました。

 

まさについ先ほど、

新しく静かなお店を開拓し

豊かな時間を過ごしてきたところで

この記事を書いています。

 

 

意図して動けば、現実は変わります。

 

 

 

ちょっとまとまりが無いのは、いつものこと。

 

私の話したいことを、話させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうかこれに懲りずに、またのお越しを。

 

まだ。

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

暖かく、天気も良いので

窓の外から子供達の遊ぶ声が聞こえてきます。

 

 

楽しそうな声を聞いていると、

こちらもなんだか楽しくなってきますね。

 

 

 

 

先日は、小学生くらいの子供達の話し声が

ずっと聞こえていたのですが、

その中の1人が、突然、一際大きな声で

 

まだ分かんないじゃん!

 

と言うのが聞こえました。

 

 

おそらく、何か言い合っていたのでしょうが

びっくりした後で、

とても満たされた気持ちになったのです。

 

 

 

大人になると、知識はどんどん増えて

こうなれば、大抵こうよね、と当然のように顛末を予想して

こちらの出方を決めてしまいます。

 

すっかり賢くなったつもりで、

はいはい、と

自ら面白みの芽を摘んでしまうことは

私もついつい、あったりします。

 

 

毎日はただ繰り返しのようで、

明日のことを考える時といえば、やらなくてはいけないことの確認ばかり。

 

 

 

でも、本当は

「まだわからない」のですよね。

 

 

何事も。

 

 

 

 

明日が来るのか、来るとして今日と同じ日なのか。

 

天気も着ているお洋服も、すれ違う人もきっと違うでしょう。

初めて、可愛い犬を連れた人とすれ違うかもしれません。

(私は可愛い犬を連れた人とすれ違うと、嬉しくなるのです)

 

 

お先真っ暗、とか

あとは人生下り坂、とか

 

ぜーんぶ

 

「まだわからない」。

 

 

 

 

まだ、って、いいですよね。

 

 

もしかしたら、まだ、

あなたはあなたの人生で起こる1番いいことに

出会っていないのかもしれない

 

 

そう思うと、

今日かな?それとも今日かな?と

毎日ワクワクしそうです。

 

もちろん、毎日全力で期待をしていては

あっという間に疲れ果ててしまいそうですが。

 

 

 

心の片隅に、ほんのり置いておくには

とっても素敵なお守りです。

 

 

 

 

子供達よ、いつまでも

「まだ分かんないじゃん!」を大切にしていてね、

たとえ、それが自分しか信じていないことでも。

本当にまだわからないのだから!

 

 

 

そんなことを思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。

 

お気楽。

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

天気が良くて、暖かくて。

お散歩がますます楽しい今日この頃です。

 

毎年、すぐに暑くなってしまうので

この、暖かさと寒さを行ったり来たりする季節も

愛おしいというものです。

 

つい、ポカポカしていると

労働意欲がめりめりと欠けていくのが難点ですが

 

 

 

 

 

 

人間、何事もやらされていると思うと、

理由がよくわからなくても

とりあえず反抗したくなる生き物です。

 

なので、

私はいつも、なんでも

自分からやっている、と思うようにしています。

 

何かしらは、利点というか、いい事はある筈ですし、

何よりどっちみちやらないといけないなら

嫌な気持ちにならないほうが、自分も嬉しいですからね。

 

 

仕事も、日常の細々した雑事も

好きな音楽を聴くのとセットにしたり、

終わった後の一服に美味しいお茶を用意したりして自分を宥めつつ、

 

なんでこれをするのだろう、の部分に

何かしらポジティブで、納得できる理由を持つことが

 

私にとっては、何事も楽しむポイントです。

 

我ながら、少々理屈っぽいのですが

 

 

 

 

けれど、

突き詰めて仕舞えば、意味なんていうのは

大抵のことにはありません。

 

価値や意味は、人間が作った社会でだけ、

人間の基準で有効に働いているだけです。

 

太陽が登ったり、水が湧いたり、

微生物がその役割を果たしたりするように

世界の営みや宇宙にとっての作用を意味するものは、ほぼありません。

 

 

でも、たかだか数十年でも、

私たちにとって、無為に時間を過ごすのは耐え難いことです。

 

生きるのに必死であれば、考えないで済むのでしょうが

贅沢な、でも、切実な悩みです。

 

 

 

ニーチェの言葉を借りれば、

自分だけの意味や価値を見つけ、それに邁進することが

解決の1つなのでしょうが

そうして自ら見出した意味や価値にさえ、

時に疑問を感じてしまうのが、私たち人間の難しいところです。

 

 

 

 

考えること、考え続けることを、

個人的には無駄だとは思いません。

 

それが人間らしさだとも思います。

 

 

ただ、私の場合

ずうっと考えていられてしまうので、

それでは現実がずっとほったらかしになってしまうことがあります。

 

 

そんな私の最終的な解決策は、

 

意味も価値もどうだっていい、ということに落ち着きました。

 

 

 

 

今やっていることに、

意味や価値が微塵もなかったとして、

私はどのみちただジーーっと退屈に耐えてはいられません。

 

無駄になったとしても、

辞める理由にはなりません。

例えそこに、なんの情熱も無かったとしても、

やったら、何かしらは得るものはあると思っています。

 

価値だって、

時に楽しかったり、なんだよもー、という感情を得ることは

いくらにもならないけれど、やっぱり嬉しいものです。

 

 

 

意味や価値は、他人に問われるものでも無く、

自分で与えてもいいけれど、それも必ず必要でもなく。

 

 

 

でも、やる。

とりあえず、やる。

 

 

それでいい、というところに落ち着きました。

 

 

最近の私は、あんまりやりたいかどうかも気にしていません。

 

本当に嫌ならやりませんが、

やってみれば経験にはなりますし、

やりたくなくてもやらないといけない事はありますから

気にするのが面倒くさくなりました。

 

自分ではやらなそうなことを、

人からもたらされるのも、そうなってくるとなんだか面白いのです。

 

 

 

理屈っぽいかと思うと、急にこうしてパッと投げてしまう、

そういう矛盾を抱えているのが、人間ですねぇ

 

 

 

 

と、温かい日差しの中で、そんな事ばかり考えています。

 

 

 

人生で1番良くない事は、深刻になる事だ、とも言いますから

こんなふうに、ずっとお気楽でいるのが

私なりに見つけた生き方であり、また

そんな自分でいることで、

多くの人におすすめしていきたい生き方でもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。

 

私にとって。

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

今日はちょっとした、私のこだわりのお話を。

 

 

 

私の記事にはよく

スピリチュアル のタグをつけているのですが

書いている内容は割と日常的なことばかりです。

 

と言うのも、私にとってスピリチュアルという言葉は

龍だとか引き寄せだとか、

遠い世界のお話や方法論ではなく

 

もっと日常の隣にあるもの、という認識だからなのです。

 

 

 

 

私が大切にしていることに

瞬間の神聖さ、というのがあります。

 

 

 

いつも何気なく通り過ぎているもの。

気がつかないもの。

 

 

そういうものが、急に認識の中に現れる瞬間は

誰しも経験があると思うのです。

 

 

そして、そういう時は

決して急いでいたり、何かに必死になっている時ではありません。

 

 

 

ふとした余白に

差し伸べられるもの。

 

 

そして、その瞬間をいつでも見逃さないように

自分を整えておくこと。

 

 

私にとって、スピリチュアルとはそういう感覚なのです。

 

 

 

あれをしたからこう、というのではなくて

人それぞれ、自分をしっかりさせておく、調和させておく。

 

その方法に決まりはなく、自分にぴったりのものが

一人一人にあると思います。

 

 

気持ちを整えるために、ヨガ、瞑想、写経、読書、書き出すこと、お散歩

 

身体のために、運動や食事、睡眠、その内容も様々に。

 

自分をしっかりさせるため、は

親切や心の持ち方、趣味などからセルフケアまで、特に色々です。

 

 

 

 

私は思うのですが

足すより引く方が大事で、難しいのです。

 

人間以外と頑張ってしまいます。

頑張らない、を本気でやるのはなかなかに怖いものです。

人間は、コントロールしたい気持ちがとても強い生き物ですしね。

 

 

 

でも、

川の流れは、堰き止めるものがなければ

自然とそのように流れます。

 

 

一生懸命になる必要は、必ずしもなくて。

 

 

きっと、ただそのように、うまくいくように出来ています。

 

それは必ずしも、自分の思い通りではないかもしれませんが

それはそれで、そこにも特別なものはちゃんと見つかると思います。

 

 

 

小さなことから、大きなことまで。

 

生きていくのはなかなか大変で

色々なことが起こりますけれど、肩の力を抜いて、

 

1つ1つを楽しんでいきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。

 

順番。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

先日、新しいルーティンやスケジュールを試していることを書きましたが

その中で、変えてみることばかりでなく

全く新しいことを始めたりもしています。

 

そんなにかっちりと

時間や内容を守るやり方は、私には向いていないので

大雑把な枠を決めておく程度ですが

 

大切なのは

 

まず、考えずに手をつけることだなぁと

実感しています。

 

 

 

というのは、何事も

最初から思った通りにうまくいく、なんてことは

ほとんどありません。

 

大抵、最初は

がっかりするものなのです。

私は、もうすっかりそのことを知っています。

 

 

なので、全く期待せず取り組みます。

その結果、評価はやや実際よりも高めになっていると思いますが、

 

でも、おかげで

落ち込んで、すぐに辞めてしまうという事はありません。

 

 

 

 

物事は、トライアンドエラーが当たり前。

そういう流れに出来ています。

 

 

やってみる、フィードバックする、改良する、もう一回やってみる。

 

それが一連の流れで、その繰り返しのはずですが

 

多くの人は

最初に脳内で架空のフィードバックをしすぎて、

要は、悩むことに時間をたっぷり使ってしまって

 

なかなか実際のトライに進めないのです。

 

単純に、順序が逆なのですよね。

 

 

 

人間は、謙遜して見えても案外自己評価は高いのかもしれません。

 

初めから期待していなければ、

失敗はそんなに怖く無いはずですから。

 

 

不思議な矛盾があるなぁ、と感じています。

 

 

 

 

それから、もう1つ。

 

やる直前も、何も考えないのが吉、です。

 

時間と、やることを決めたら

何も考えずに手を動かし始める。

 

すると人間、なんだか気分がノッてきます。

 

 

やる気、というものの存在を私は信じていないのです。

 

というのも、私は

自分が今、やる気が出ているのかどうか

今一つ判然としませんし

 

脳が活性化している、と言うのならばともかく、

やる気が出ている状態というのに

明確な定義はないように思うからです。

 

 

実際に行動するか、しないか。

 

やる気やら環境やら、あらゆる他の要素は

一度置いておいた方が良い場合が多いです。

 

 

そういった微調整は

それこそやった後のフィードバックでないと

正確ではなかったりしますからね。

 

 

 

 

考えることも、考えないことも大事であり

また、考えるというフェーズの順番も大事なのです。

 

 

 

 

 

まだまだ忙しなくしているものですから、

雑記のような内容が多くなりがちですが

ご容赦くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。

 

 

人達。

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

雨ですねぇ

 

春は一雨ごとに暖かくなる、と言いますが

最近は季節が行ったり来たりしますから、

あんまり安心できませんね。

 

 

 

とはいえ私は、実は結構雨が好きです。

 

 

土砂降りはいけませんが、

しとしとと雨の降る日はむしろ、晴れの日より

ウキウキして散歩に出かけます。

 

普段よりいくらか人通りの少なくなった通りを、

傘で弾ける雨音を聞きながら歩くのは

私にとってはなかなかに楽しい時間なのです。

 

 

私は人混みが得意ではないので

大抵の用事は平日に済ましてしまいます。

 

お出かけごとは、少しでも人の少ない時間に済ませて

人の多いイベント中や休日は、室内でのんびりと。

 

 

つまらなそうに聞こえるかもしれませんが、

私には、どうしてもこれがあっているのですよね。

 

 

特になんだか最近は

いつも、どこに行っても、人でごった返しているような気がして

私などは、どんどん人気の無い方へと

ひっそりと身を隠していくように感じることがあります。

 

まぁ、少し大袈裟ですけれど。

 

 

 

賑やかで明るいのは、嫌いでは無いのですが

許容範囲というか、限度のようなものは

世の中の平均よりもずっと狭いのだろうなと感じています。

 

 

 

でも、

人混みに混じることはしませんけれど

遠くから、それを眺めることは好きなのです。

 

つい、自分の生活に一生懸命になっていると忘れてしまいますが

人には人の、それぞれの生活と全く違う視点があるのですよね。

 

 

あの人集りはなんだかとても盛り上がっているなぁ。

あの人は仕事帰りだろうか。

あちらの女性はとてもオシャレをしているけれど、どこへ行くのかしら。

 

 

そうやって、ちょっと離れたところから

それとなく眺めていると、不思議と安心するんです。

 

なんだかんだ、人は群れで生きるようにできているんでしょうか。

 

 

他にもたくさんの人が、ここで生きていて、

必要なことをして、楽しいことがあったり悲しいことがあったりして

それぞれ別の日々を生活をしているのだ…。

 

そんな当たり前のことを見つけると、

私は気持ちがすごく楽になるような感じがします。

 

 

だから、

1人が好きだけれど、常に付かず離れず。

 

 

時々はひょっこりと。

まるで人の営みに顔を出す野生動物のようですが、

世の中とつながる、それを感じることを大切にしています。

 

 

 

必ずしも個別つながりでなくても

私もあなたも、ここで生きている、という共同体のような意識は

どこにいても、感覚を向けさえすれば

なんとなくでも感じられるものなのだと思います。

 

 

そういう、なんとなしの感覚やバランスを大切に

 

同時に、他を思いやることも思い出しながら。

 

 

どんな時も軽やかに生きていたいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。