お気楽。

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

天気が良くて、暖かくて。

お散歩がますます楽しい今日この頃です。

 

毎年、すぐに暑くなってしまうので

この、暖かさと寒さを行ったり来たりする季節も

愛おしいというものです。

 

つい、ポカポカしていると

労働意欲がめりめりと欠けていくのが難点ですが

 

 

 

 

 

 

人間、何事もやらされていると思うと、

理由がよくわからなくても

とりあえず反抗したくなる生き物です。

 

なので、

私はいつも、なんでも

自分からやっている、と思うようにしています。

 

何かしらは、利点というか、いい事はある筈ですし、

何よりどっちみちやらないといけないなら

嫌な気持ちにならないほうが、自分も嬉しいですからね。

 

 

仕事も、日常の細々した雑事も

好きな音楽を聴くのとセットにしたり、

終わった後の一服に美味しいお茶を用意したりして自分を宥めつつ、

 

なんでこれをするのだろう、の部分に

何かしらポジティブで、納得できる理由を持つことが

 

私にとっては、何事も楽しむポイントです。

 

我ながら、少々理屈っぽいのですが

 

 

 

 

けれど、

突き詰めて仕舞えば、意味なんていうのは

大抵のことにはありません。

 

価値や意味は、人間が作った社会でだけ、

人間の基準で有効に働いているだけです。

 

太陽が登ったり、水が湧いたり、

微生物がその役割を果たしたりするように

世界の営みや宇宙にとっての作用を意味するものは、ほぼありません。

 

 

でも、たかだか数十年でも、

私たちにとって、無為に時間を過ごすのは耐え難いことです。

 

生きるのに必死であれば、考えないで済むのでしょうが

贅沢な、でも、切実な悩みです。

 

 

 

ニーチェの言葉を借りれば、

自分だけの意味や価値を見つけ、それに邁進することが

解決の1つなのでしょうが

そうして自ら見出した意味や価値にさえ、

時に疑問を感じてしまうのが、私たち人間の難しいところです。

 

 

 

 

考えること、考え続けることを、

個人的には無駄だとは思いません。

 

それが人間らしさだとも思います。

 

 

ただ、私の場合

ずうっと考えていられてしまうので、

それでは現実がずっとほったらかしになってしまうことがあります。

 

 

そんな私の最終的な解決策は、

 

意味も価値もどうだっていい、ということに落ち着きました。

 

 

 

 

今やっていることに、

意味や価値が微塵もなかったとして、

私はどのみちただジーーっと退屈に耐えてはいられません。

 

無駄になったとしても、

辞める理由にはなりません。

例えそこに、なんの情熱も無かったとしても、

やったら、何かしらは得るものはあると思っています。

 

価値だって、

時に楽しかったり、なんだよもー、という感情を得ることは

いくらにもならないけれど、やっぱり嬉しいものです。

 

 

 

意味や価値は、他人に問われるものでも無く、

自分で与えてもいいけれど、それも必ず必要でもなく。

 

 

 

でも、やる。

とりあえず、やる。

 

 

それでいい、というところに落ち着きました。

 

 

最近の私は、あんまりやりたいかどうかも気にしていません。

 

本当に嫌ならやりませんが、

やってみれば経験にはなりますし、

やりたくなくてもやらないといけない事はありますから

気にするのが面倒くさくなりました。

 

自分ではやらなそうなことを、

人からもたらされるのも、そうなってくるとなんだか面白いのです。

 

 

 

理屈っぽいかと思うと、急にこうしてパッと投げてしまう、

そういう矛盾を抱えているのが、人間ですねぇ

 

 

 

 

と、温かい日差しの中で、そんな事ばかり考えています。

 

 

 

人生で1番良くない事は、深刻になる事だ、とも言いますから

こんなふうに、ずっとお気楽でいるのが

私なりに見つけた生き方であり、また

そんな自分でいることで、

多くの人におすすめしていきたい生き方でもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。