つらつらと。

 

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

細切れの話になってしまいますが、

引き続き、ブレない強さの小噺を。

 

 

 

 

私は、なんでもノートに書く習慣があります。

 

毎日必ずノートを開いては、その日あったこと、考えたこと、

やるべきことや自問など

とにかくなんでも好きに書くノートが存在し、

それをどんどん積み重ねています。

 

 

特に自問は、自分の軸、強さを知るにはとても有用です。

 

 

 

何をしている時、どんな気持ちになるか。

なぜ、それをするのか。

その思いの出処はどこなのか。

 

今までで最も嬉しかった経験、贈り物、言葉は何か。

自分にキャッチフレーズをつけるなら何か。

何もない棚に1つだけ飾るとしたら何か。

 

また、なんでもランキングやリストにするのもいいでしょう。

 

 

こういった質問を自分に繰り返すうち、

だんだんと自分にとって本当に必要なもの、大切なものがわかってきます。

 

そうすれば、それ以外のものへの心配は

大したことではなくなるのです。

 

 

 

 

私は、繰り返し書いているうちに

自分にとって必要なものはそう多くない、ということに気がつきました。

 

 

私という人間は、究極を言えば

おいしい珈琲と良い本があれば、事足りるのです。

 

これには拍子抜けしました。

なんてことはない、私には何1つ心配がない、と

肩の荷が降りるようでした。

 

 

 

同時に少し、愕然としたのも確かなのですが

 

 

 

以来、その土台があるならば、

自分の幸福に帰ってくるのがこんなにも簡単なら、と

大抵のことへ飛び込んでいくのが

全然平気になりました。

 

 

 

まぁ、人によっては

あんまり多くて、もっと頑張らなくてはならなそうだったり

或いは

全然大切にしていなかったものの大切さを思い出したり

良くも悪くも、様々な発見があることでしょう。

 

 

 

 

私が拍子抜けするとともに、愕然とした理由は

いかに自分の日々していることが

どうでもいいことかに気づいてしまったからです。

 

 

全く、本質的ではなかった。

 

 

どうでもいいような、薄っぺらいことばかりで

日々は形作られている。

 

それは、実際なかなかにショックで、大いなる問題でした。

 

 

 

それからは、また

実際と本質を書き出しては比べて、何度も微調整を行なっていったのですが

 

 

それはまた、別のお話。

 

 

 

 

ともかく。

自分を知り、本当のことだけに集中すること。

 

それは、心配事を減らし

少しだけ私たちを強くします。

 

ただ、知ってしまうと、前述のように

取り組まなければ落ち着かない、新たな課題が見えることもありましょうが、

 

誤魔化して生きていくよりは、多少辛くても

こっちの方がずっといいと思います。

 

 

 

 

私の珈琲と本のように、実際のアイテムだと

自分だけの救急箱を持っているようで

 

目に見える分、より頼もしいものを持てることもあります。

 

もちろん、書いたノートそのものが

私たちを救うこともあるでしょう。

 

何より、こうして何かを明らかにし、作るというのは楽しいことです。

 

 

 

 

 

結論を急がずに、深刻にならずに、そして

自分にとって本質的なことがわかっていれば

 

強く柔軟に、軽やかに生きていけると私は信じています。

 

 

 

始まりの春に、自分だけのノートを綴っていくこと。

 

おすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。