気軽さ。

 

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

 

 

 

 

私は最近、なんだか寝ても寝ても眠くって

参ってしまいます。

 

気候のせいでしょうかねぇ

 

 

 

 

先日、とあるお悩み相談系のラジオ番組を聞いていたのですが、

大抵の悩みは、やっぱり人間関係なんだなぁ、と思いました。

 

ただ、不思議だったのは

聞いてみたらいいのに、どうして聞かないのだろう?

というお悩みが多かったことです。

 

 

相手がどう思っているか、どう感じたかは

聞かないことには分かりませんし

 

聞いてみて、返ってきた答えが

本心かどうかは、確かではありません。

 

とはいえ、少なくとも

余所行きの答えであれなんであれ、何かしら

もっと詳しいことは知れると思うのです。

 

 

 

私はなんでも、どうしてだろう?と思ったら

口に出して聞いてしまうので

聞けない、というのがとても不思議に感じます。

 

 

怖く感じてしまうのでしょうか。

知りたいようで、本当は知りたくないとか

 

 

言いたい事も言えないような人間関係は

確かに、それだけで十分悩みの種になりそうな感じはします。

 

 

 

 

私は基本的には、話し合いのできない人間関係は

持たないようにしています。

 

 

感情的になって、全然人の話を聞かなくなる人だったり

直接言えないからと、物に当たったり、仕草や態度でアピールする人だったり

 

少しなら、様子を見たり、待ったりもできますが

あんまりそんなだと、疲れて、

すーっと離れて、さようならしてしまいます。

 

それでも、あんまり困りません。

 

1人の時間は、慣れてしまえば

これ以上無く気楽で自由な楽しい時間です。

 

 

私はいわゆる、ソーシャルバッテリーというのが

ちょこっとしかない人間なので

関わる人は、本当に大切に関わりたい人だけ、というのが

ちょうどいいように感じています。

 

 

 

コミュニケーションには、アサーティブというのがありますね。

 

 

伝え方や態度は大切ですが、基本的には

自分の気持ちを表現する権利は、誰にだってあります。

 

ずっと考えてモヤモヤしてしまうより、

エイっと思い切って伝えてしまった方が

結局、その方があとは楽だと思います。

 

 

点ではなく、線で見れば、

今ここで意見がぶつかったり、険悪になったとしても

それが今後ずっとそのままなわけではないのですから。

 

ぶつかることを恐れていては、ずっと平行線ですが

ぶつかってみたら、交わった分だけ、

その平行線が少し近づく事もあると思うのです。

 

 

 

人間関係というのは

誰も教えてくれないし、教えられるような

正しい答えのある物でもないのですよね。

 

だから、探り探り。

 

 

そんなに重く考えず、シンプルに

最初に心に浮かんだものに従ってみる気軽さで

やっていってもいいと思うのです。

 

そして、あんまり外側に求めすぎないこと。

 

誰かに頼らなくても、1人で楽しくできてしまえば

ちょっと何かあっても平気です。

 

自分だけは、ちゃんと自分の味方でいること。

その上で、間違いや失敗は受け止めていくこと。

その過程を楽しむこと。

 

 

それさえ、しなくてはいけないというわけではありません。

 

 

自分の居心地の良い方を、本心から、さらっと選ぶ。

 

 

そういう生き方ができたら良いなぁ、と思います。

 

 

 

 

 

 

それでは、またのお越しを。

(話し合っているように見えて、可愛らしかったので)