見えているもの。

 

 

ようこそ、宇宙喫茶 くらげやへ。

 

 

 

今日は本棚の整理をしておりました。

 

 

日頃片付けているつもりでも、何の気なしに目をやれば

埃をかぶっていたりする。

 

あの粉粉、もこもこしたものは、いったいどこからやってくるのか

 

なんて真剣に考えているうちに、

そういえば、小学生の頃も、掃除をしながらそんなことを考えていたなぁ、

あの柄の長いブラシのような箒は、よくできているなぁ、

 

思考ももこもこしてきたので、適当なところで切り上げて

仕事に戻りました。

 

 

私はぼんやりやなのです。

 

 

 

私は子供の頃から本が好きでして、

毎週図書館に連れて行ってもらっていました。

 

今でも、毎日10分でもいいから

本を読まないと落ち着かないほどです。

 

 

ほとんどは小説なのですが、絵も好きなのでいくつか画集も持っています。

 

 

本棚を整理するとなれば、それはもちろん、ついパラパラと

ページをめくってしまうのは

もう、そういうものだと思うより他ないですね。

 

 

色々と眺めているうちに

1枚の、猫の絵に目が留まりました。

 

 

丸くなって座り、じっとこちらを見ている真っ白な猫です。

 

 

その目が、なんと言いますか、

 

不思議な力を持っていて、

 

なんとなく、ギクリとするような。

 

 

 

見ているよ、知ってるよ

 

 

と言われているような気になるのです。

 

 

思わず数分、じっと息を潜めて見つめ合っていました。

 

 

 

絵画になっていてもなお、目、視線というものの力は健在のようです。

 

 

相手の目を見て話す人は

自信があるように感じられ、

相手に何かを信じさせる力がありますし

 

 

見られている、と思うと萎縮してしまう。

 

 

 

そして、視線というのは何故か、気づくものなのですよねぇ。

 

 

目には魂が宿る、とも言います。

 

 

私は、相手の目を見ただけで全てを理解する、なんていう

特別な能力は持っていませんが

なんとなく、わかるような気はします。

 

 

 

 

 

 

みる、と言っても

 

物理的なものばかりではありません。

 

 

 

私たちは、見えなくても

空気や重力があることを知っていますし、

 

知っていれば、そのつもりで見ています。

 

 

実際に人間の目が 光の反射で物を見るように

 

 

私たちは、自分の内面を反射して物事を見ています。

 

 

だから、同じものを見ていても、同じ出来事に出会っても

 

私たちが本当に見ているものは

 

同じではありません。

 

 

 

空気のように、見えないけれどある、があるならば

 

私たちには見えているけれど、ない、もあるかもしれません。

 

 

あるいは、重力のように、見えないけれど働いている力があるならば、

 

私たちのまだ知らない、今も世界に働いている他の法則もあるかもしれない

 

よく、心が現実を作る、と言いますが、

本当にそうなのかもしれませんね。

 

 

 

スピリチュアルや不思議なことは、

私にはそのままでは納得できないことがあります。

 

 

そんな時、こうして実際の仕組みや事実を思い出して

 

気の済むまで考えて

 

 

はぁ、そういうことか、と勝手に納得するのが

 

私の趣味、と言えるかもしれません。

 

 

我ながら、疑り深いんだか信心深いんだか。

 

 

 

なんにせよ、自分なりに納得すること。

 

正しいかどうかより

 

自分がどう考えるか、どう考えたいか。

 

 

それを大切にして良いのだと、私は思います。

 

 

何が正しいのか、なんて

 

地球は平らだと信じていたような私たちには

 

まだまだ、わかりませんからね。

 

 

 

それでは、またのお越しを。